首都では僕の誕生日パーティーもしてもらい、27歳最高のスタートを切った、やまたつです。
今月、元jocvでマラウイに来ていた先輩隊員が大学院の研究の一環で、再びマラウイに来てくれました。
その時に日本のドラマやその他ドキュメンタリー番組などのデータをもらいました。
これはjocvでよくあることです。
たまには日本の番組を見たくなるんです。
さすが先輩わかっている!
その中に医龍4があり、休日使って見てしまいました。
そして思ったこと、やっぱり病院ってこうだよなーって。
患者の検査ができて、薬の処方や治療ができる。
オペができて、病気が治る。
入院患者と向き合い、良い関係を築く。
僕は2年間、総合病院の栄養士として働いていた頃を思い出します。
あの病院は本当に忙しかったけど、自分の成長が感じられて楽しかった。
入職9か月で栄養指導を任されたり、1年過ぎたころには整形・小児科病棟の栄養管理を任された。
まだ新人の栄養士だったので不安はありました、上司に背中を押され、先輩たちに支えられて頑張ることができました。
途中で腎臓内科の担当に変わったときは、本当に自分に務まるのかと思っていましたが、先輩の「大丈夫。わからないことあったらいつでも聞いてね。」という言葉を受けて、やっていくことができました。
確かに、まだ栄養士2年目で腎臓内科はかなりハードルが高かったですが、できないと言わなくて良かったと思っています。
知識は自分で勉強して蓄えればいい。
本当に大切なのは経験すること。
当時の僕が患者さんにできることは、とにかく病棟へ行き患者さんと話すこと。
患者さんのQOLを考えて、何が食べられるか、何が好きか、どうしたら栄養状態が改善できるか。
栄養管理計画を立てては実行し、経過を観察する。
自分の目で。
電子カルテだったので、医者や看護師がそれぞれ書き込み、栄養室にいても患者情報を取ることはできましたが、目に見える変化はやっぱり自分で見ないとわかりません。
あと、他人からの情報にはどうしても何らかのバイアスがかかります。
そういうケアを提供できたのも同僚の助けや他職種との連携があったり、医療機器や医療制度がしっかりしていたおかげだと。
今、改めて日本はすごいです。
もちろん医療費やその他問題は多々あるとは思いますが。。
マラウイでは患者さんと向き合うことができても、適切な治療が提供できないことの方が多くあります。
経過観察も難しく、他職種の連携もほとんどありません。
患者のQOLを考えて働いている医療者はごくわずかしかいません。
"医療者は患者よりも立場が上"というのがマラウイの現状です。
医龍4を見ていて、患者のQOLを考えたケアが懐かしく思いました。
帰国後はどういう進路を歩むかまだ模索中ですが、病院栄養士というのも悪くないなと思いました。
もし、あの病院でまた働けるなら。
自分のやりたいこと、挑戦したいことができて、それを支えてくれる人たちが揃っていたあの環境ならもう一度、病院栄養士をやってみたいと思います。
まぁ、何はともあれ、あと1年は全力で駆け抜けていきます。
僕にしかできない活動を全力で。
~今回のレシピ~
協力してあげられる人になる、協力してもらえる人になる。
いつも応援ありがとうございます。27歳になっても頑張っていきます↓
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