帰ってきてしまいました。。
マラウイという現実に対応できない、やまたつです。
今回は急遽書きたいことがあったので。
エンディングノート
宮崎市が発行している【私の想いをつなぐノート】というものを、先輩隊員が日本から送ってもらっていたので見せてもらいました。
そこには終末期医療、延命治療についてわかりやすく書かれています。
と同時に、日本の医療現場の現状、医療者の価値観なども添えられています。
延命治療にもいろいろと種類があるので、イマイチわかりにくいのが現状です。
しかし、このノートには医療者じゃなくてもわかりやすいように、メリットもデメリットも書かれています。
事例もあって、とても考えさせられました。
ひとつ事例を抜粋して紹介します
【事例 Uさん 78歳男性】
COPD(慢性閉塞性肺疾患)で在宅酸素7ℓ/分使用していた患者さんです。自宅で最期を迎えたいとの希望があり、介護する妻、宮崎にいる子どももそのつもりでいました。転倒を繰り返してはいましたが、在宅でのサービスも整い、安定した生活を送っていたようです。遠くに住む親戚が帰ってきた際も、転倒し、家族はその対応に慣れていましたが、慌てた親戚が救急車を呼んでしまいました。救急車により救急病院に運ばれ、そのまま入院となり、結局自宅での最期を迎えることはできませんでした。もし、本人の事前指示書があり、事前に親戚にも伝え、納得させることができていればと家族は悔やんでいます。
日本では、救急車を呼ぶという行為は「命を助けてほしい」ということを意味します。
その結果、本人が望まない医療処置が行われたり、自宅で最期を迎えたいと思っていても、病院での最期を迎える可能性が高くなります。
なので自分の意志がはっきりしているときに、事前指示書(自分の終末期医療について希望を書いておくもの)を作成しておく必要があります。
市販のものがいろいろ出ているようです。
人はいつか死にます。
病気かもしれないし、事故かもしれない。
その時期と原因は誰にもわかりません。
このエンディングノートは、作成するのに早すぎることはないと思いました。
僕もこうして海外で活動、生活している身なので、日本にいるより死の可能性は高いと思っています。
ふと、自分が住むマラウイという国と死の選び方について考えてしまいました。
この国は終末期医療はもちろん、普通の医療行為もままならない状況。
人々は死について考えたことないのかもしれません。
いつも、いつでも自然な最期。
延命ができるほどの機能は病院にありません。
しかも患者の世話は主に家族が付き添いで行うので、病院での死も家族に看取られるがマラウイでは普通です。
延命できない国、マラウイ
延命できてしまう国、日本
どちらが良いかはわかりませんが、日本は死に方を選べるのだから自分で選ぶべきではないでしょうか。
でも、死に方は自分ひとりで必ずしも決定できないことだと思うので、親や子供、親戚といろいろ話す必要があるでしょう。
事例のような意志疎通のズレがないように。
~今回のレシピ~
生まれる場所は選べないが、死ぬ場所は選べる
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